看護師を志したきっかけ
母方の祖父が開業医で、祖母は看護師をしていました。私が生まれた頃に祖父は他界してしまっていたので現役の祖母の姿は見ていないのですが、話は母からよく聞かされていて、それによると祖母は、いわゆる白衣の天使のイメージとは離れた厳しい人でした。
時代は戦前とはいえ、開業医ですから、患者さんに来てもらわないことには収入になりません。祖母は患者さんを「お客様」としてとても大切にしていて、自分がどんなに具合が悪くても「患者さんがいれば絶対に看なければ」と、引き止める家族を振り切って看護にあたっていたそうです。
母の話とセピア色の写真の中でキリッと佇む祖母の姿を重ね合わせ、「なんてカッコいいんだろう」と幼心に憧れたのを覚えています。小学校低学年のことです。
自身の看護観
ナイチンゲールが「看護師は女優だ」と言ったように、医療という舞台の上では常に患者さんが主役、私たち看護師はいわば、主役を支える名脇役です。
また、私が看護師たちによく言っていることの一つに「三輪車理論」という考えがありますが、ここで三輪車を漕いでいるのは患者さん。患者さん=前輪を支える二つの後輪が「医療」と「看護」です。実はこれも、ナイチンゲールの「医療と看護は両輪だ」という言葉から着想を得たものなんです。
こんなことを言うと、看護師の地位を上げるために活動してきた60~70代の先輩方に怒られてしまいそうですが・・・私自身は看護師が特別な職業だとは思っていなくて、小さい頃、熱が出たときにお母さんが看病してくれたでしょう?元を正せばその延長なんじゃないか、と。
私が佐倉中央病院へ赴任してきたばかりの頃のことです。怪我の手術中に患者さんの手を握っていたら、後になって「あれが一番落ち着いた」とおっしゃってくださいました。もちろん傷を縫製するのが第一ですが、人は不安なときこそ、誰かに寄り添っていてもらいたいもの。三輪車の後輪、「医療」で治療を行うのが医師ならば、「看護」である私たち看護師は、あくまでも患者さんの立場から看護にあたり、生活そのものを支えていくべきだと思っています。