看護師の仕事は多岐にわたります。それ故に、気がつくと日々の業務に追われてしまい「看護って何だっけ?」と思ってしまう場面も出てきます。
今回は、患者さんの言葉から大切なことを教わった、わかさんのエピソードをご紹介します。
片時も忘れなかった「娘」
肝硬変の60代女性、再婚相手が介護していました。
若い頃に離婚され、実の娘さんは元夫に経済的問題でひきとられたそうです。娘さんと別れた後はアルコールに溺れる生活を送っていたようですが、娘のことは「片時も忘れなかった」と聞きました。
最期の言葉を残して
「娘を捨てたわけではないけど…こんな母親だめよね。あなたは、ちょうど娘と同じくらいね、なんにも母親らしいことできなかったから、親子みたいに話しましょ」
彼女はそんな風に言ってくださり、勤務の度によく話していました。しかし、状態は日に日に悪くなっていきました。
ある夜勤の日。
「ねえ、今日はあなたにありがとうって伝えたくなった。娘に会えないのは、仕方がないのね。おやすみ」
そう言ってくれた数時間後、急変し亡くなりました。最期の言葉でした。
時間が許す限り「傾聴」することの大切さ
これがわたしの、心に残っている患者さんからの言葉です。
もちろん業務も大事ですが、これ以降、時間が許す限り患者さんの側で傾聴するようになりました。
看護師ならば誰でも「患者さんの話を傾聴したい」という思いはもっているはずですが、実際はなかなかその時間を確保できないものです。
傾聴することの大切さ、そして「傾聴の時間は作るものだ」ということを学ばせていただいた、わかさんのエピソードでした。
●執筆●
看護助手から始め、働きながら学生に。自分の誕生日である8/13が、ナイチンゲールが亡くなった日であることを知り、なんだか感じるところがありました。今でも楽しく看護師をしています。
あなたのストーリーも教えてください!「ナースのちょっとイイ話」でご紹介させていただきます。 ご参加は こちら から。
看護助手から始め、働きながら学生に。自分の誕生日である8/13が、ナイチンゲールが亡くなった日であることを知り、なんだか感じるところがありました。今でも楽しく看護師をしています。
あなたのストーリーも教えてください!「ナースのちょっとイイ話」でご紹介させていただきます。 ご参加は こちら から。