「ラウンジ☆セレクト」は「ラウンジ」で盛り上がった話題と、そこに寄せられたみなさんのご意見を紹介しています。
知識や技術、器具、その他看護にまつわることで、昔と今で変わったことを教えてください。
先輩たちがしていることに驚くこともしばしばありましたが、それは私がどのような流れで変わったのかを知らないからだろうと思ったので、トピックたてました。
■安全や感染に配慮されてきた、注射・点滴系
抗がん剤。素手で扱ってました。
今みたいに薬剤師が溶解するのでなく、病棟で。
採血もシリンジで、セーフティなんてついていない針で、手袋もせずおこなってました。
まずガラスの注射器が完全に廃止になりましたね‼
昔はディスポを使用するのは、感染症の患者さんに限定されてました。
輸液もアンプル剤も、殆どがガラスボトルで、重いし割れるし、輸液ボトルにはエア針が要りました。
真空採血のホルダー患者さんごとにかえず使い回してた。
筋肉注射は揉むのが当たり前だったけど、今は揉まなくてもよくなってますね。
翼状針はありましたが、高価という理由でなかなか使わせてくれず、点滴は短針でした。
サーフロ針は、オぺ患や重傷のみでした。
中心静脈輸液のロックは、ヘパリン入り生食。
抹消からの点滴ロックは、ヘパ生から生食ロックに変わった。
■看護の方法も変化…処置・ケア系
ベッドもギャッヂアップできないのが多かったし、布オムツにオムツカバーとかの時代もありました。
百を超えた高齢者でも呼吸停止したら当たり前に挿管してました。
エンゼルケアの方法。
割り箸1本と大量の綿を渡され、あ然とした思い出があります。
傷には赤チン(マーキュロクロム)!!
氷嚢や氷嚢吊りは絶滅したかも。「ひょうちん」は「こおりまくら」として生まれかわって、いまは「アイスノン®︎」とも。
環境整備ではベッドボウキも使わないですよね?今はコロコロ…。
■イソジンはどこへ?感染・消毒系
擦過傷の消毒にイソジンを使わなくなった事です。
昔は 何にでもイソジン消毒で、擦過傷だけでなく鋭利な切り傷や褥瘡までも、これでした。
手術前の手洗い、イソジン&ブラシではなくイソジンだけになったとのことで、私はイソジンで洗ってました。
ある大学病院ではイソジンでも洗わずに、アルコールで擦拭だけとのこと。
褥瘡もイソジンで消毒してたし、乾燥させてたし、洗浄がもてはやされると生理食塩水で洗浄で、水道水を使うなんてもってのほかでしたね。
昔は褥瘡は乾燥させた方が良いと言われドライヤーで乾かしていた。
膀胱洗浄も感染リスクになるだけなので、3WAYカテーテルを入れて還流するようになりました。
洗面器に水を張った中に、オスバン入れたのを準備して、手を洗ってからいつもその液にバチャバチャ手を入れてから拭いてました。
感染防止とうたわれ使っていた粘着マット。今思えばあれが感染源だった。
吸引ビンに、ヒビテンを1センチくらい入れておくことは、液体なので、殺菌効果が無くなれば、菌の温床になるんですよ、ですから、今は何も入れないんですよ。
■今では考えられない!!!手作り系
綿球は自分達で作っていました。大・中・小
切り込みガーゼとか綿棒なども。作ってはカストに入れて滅菌消毒して。
何回も滅菌消毒するとガーゼや綿球が茶色になってました。
今じゃ当たり前に個包装ですが、アルコール綿も、壺にカット綿を入れてボトルのアルコールを入れて浸して作り置きしてた。大抵の病院はクレゾールの臭いがしてました。
20年前に「メンタシップ」と言うものがありました。お湯にハッカ油を入れてタオルを入れて絞り、腹部にホットパックと共に当てていました。
褥瘡に、イソジンシュガーを手作りしてました。
浣腸も50%と知っているのは、実際にグリセリンと湯を同等量で作っていたからです。
オぺで使用するオイフは、ミシンで縫って作成していました。余り布で白衣ポケットのオーガナイザーを作るのも。
床頭台には、新聞やチラシを折った簡易ゴミ箱。
関連トピック:「
昔と今で変わったこと。知識、技術、器具など
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イラスト・なしま