看護師は夜勤のラウンドや訪問看護など、患者さんの健康状態を確認する機会が多くありますが、患者状態を適切に判断するためには、プライマリ・ケアの技術が大いに役立ちます。
本連載では、拠点病院などによる後方支援を期待できない土地で、医療・検査機器などもない患者宅で医療を提供する「へき地医療」を通じ、“究極のプライマリ・ケア”と地域医療の実際を解説します。
波照間島で診療していると、予想もしなかった患者さんに出会うことがあります。
クラゲ刺傷や蜂刺傷などはもちろん、耳に虫、目に天ぷら油、たまに切断指が自然治癒した痕を見ることもあります(危険なのでオススメしません)。
広い領域に渡った診療が必要と言われますが、私が経験しただけでも、内科、小児科、整形、外科、耳鼻科、皮膚科、眼科、産婦人科など、様々な診療科にまたがる患者さんに出会いました。
今日は美容外科のお話です。
私は、縫合はできますが、完璧に傷跡を残さずに切って縫う技術には自信がありません。美容外科のトレーニングを受けたわけでもありません。
そんな私が、まさか美容治療をすることになるとは思いもしませんでした。
皮膚がんの疑い!?しかし、患者さんにとっての関心ごとは・・・
患者さんは、何があっても島でできる医療以上のことはしない、島を出ないという高齢のおばぁでした。
徐々に食が細くなって、通常であればまず消化器がんを否定するために内視鏡をしようとかCTをとろうとか、そんな場合も「できるだけ、それ以上はいいよ」という方でした。
徐々に衰弱していく中でケアをしていると、ある時おばぁの顔に大きな腫瘤ができました。
うーん、ホクロかな?イボかな?とか思いながら見ていたら徐々に大きくなってくる…
離島医師としては露光部でもあり一部潰瘍形成も認め、基底細胞癌や有棘細胞癌など皮膚がんの可能性も考えました。
「うぅーん、これは皮膚科に紹介」と思ったものの、これまで状態が悪くなっても島でずっと診ていた方でした。
島医者としては重症患者を島で見ている時も気が重くなりがちですが、それ以上に重病“かもしれない”患者が島にいる時の方が、ストレスがかかるものです。
いくら“島であらゆる疾患の患者さんを見る”と言っても、一人島医者は一般にがんの根治的切除は行いません。しかし、彼女は切ってくれと言います。むしろガンであるか否かは気になさっておられない様子。
私は少しびっくりして、しかしその後非常に納得しました。
よく考えたら、さんざん衰弱してこのまま命を落としても構わないとおっしゃっていた彼女の場合、心配していたのは皮膚腫瘤が命を奪うことではなかったのです。
患者さんが気にしていたのは、自分の命の危険性ではなかった
周到にこの世の整理、あの世の準備をされていた患者さんにとって何より気にかかるのは、そのビジュアルであったのです。
素敵な笑顔をされる方でしたから、遺影には困らないだろうと思ったのですが、彼女は「こんな顔じゃぁあの世にいけないよ」とおっしゃるのです。よくよく話を聞いてみると、お母さんや家族にあの世で再会するにあたって、綺麗な顔でいたい。そう考えられていたようです。
介護の現場で、認知症の高齢者に対して介護者が語る赤ちゃん言葉はしばしば議論の種となります。介護の現場に限らず、常に我々医療者、介護者は、知らず知らずのうちに患者や利用者をある“枠”にはめ込んでしまいがちです。
私にとってどうでもいいものが患者さんには重要な場合もあるし、その逆も然りです。20代の綺麗な女性だから重要だけど、高齢で寝たきりの人の顔が重要でないわけではありません。
私はメスと局所麻酔薬を持ってご自宅を訪問しました。おばぁは切除に伴う痛みを恐れていましたが、声をかけ、注射器を持つと神妙な面持ちで目を閉じました。そして、その方の顔面の真ん中にできた1.5cm大の腫瘤にえいやとメスを入れたのです。
速やかに切除すると、これまで波照間島の燦々とした日光の下、畑に出たり集落で暮らしてきたおばぁの年輪のように深く刻み込まれたシワに、私の稚拙な縫い傷はすっぽりと飲み込まれていきました。
私は、これは皮膚生検でもないし、がんの切除でもなく、間違いなく美容目的の手術だったと思っています。使い方を間違えると傷つけることもあるでしょうが、美容外科は人を救います。いや、医療すべてがそうでしょう。
結果的には日光角化症だったかと思いますが、気にしたおばぁが引っ掻いて、中心部が潰瘍のように凹んで出血していたようです。
その後すっかりご機嫌となったおばぁは顔じゅうのイボやホクロまで切ってくれ切ってくれ、と仰るようになり、その後複数のイボ切除をしました。今のところ、準備していたあの世に行く予定は当分なさそうです。