看護師は夜勤のラウンドや訪問看護など、患者さんの健康状態を確認する機会が多くありますが、患者状態を適切に判断するためには、プライマリ・ケアの技術が大いに役立ちます。
本連載では、拠点病院などによる後方支援を期待できない土地で、医療・検査機器などもない患者宅で医療を提供する「へき地医療」を通じ、“究極のプライマリ・ケア”と地域医療の実際を解説します。
沖縄ならではの食習慣
日本本土にない食習慣は他にも様々あります。例えば沖縄ではことあるごとにヤギを食べています。アルプスの少女に出てくるあのヤギです。残酷でしょうか?
クジラやマグロと似ていて(クジラやマグロは絶滅危惧種ですが・・・)、自分が食べれば食肉ですが、人が食べていると多少残酷に感じるものかもしれません。
ともかく波照間島でヤギはソウルフードでした。
家を建てたり、運動会の翌日だったり、お祝いごとにはヤギでした。基本的にはヤギ汁、あとは刺身など。
波照間診療所の待合室のテレビから流れるCMで、焼肉が映っているのを見て、「あ〜ヤギ食いてぇなぁ」といった島の人の言葉は忘れられません。子どもからおばぁまで、「フツリ(睾丸)の刺身が一番おいしぃさぁ〜」とよく食べます。
ヤギには独特の匂いがあり、沖縄本島でも最近の若い人は嫌うことが多いと聞きます。確かに豚骨ラーメンとも違う、なんとも言えない香りがします。ヨモギを臭い消しで入れたりするのですが、これがまた入れすぎると私はすこし気持ち悪くなりました。
医療の対価は“ヤギ汁”!?
私が初めてヤギ汁を食べたのは、新任歓迎をしていただいた時でした。
島の真っ黒に日焼けしたおじさんたちにとり囲まれて、ジョッキに泡盛を注がれ、「どうだ!うまいだろ!」と笑顔で言われた時は、本当にうまかったのかどうか記憶は定かではありませんが、「うまいです!」と即答していたように思います。
その日は学生時代以来の深酒で、残念ながらせっかく食べたヤギや泡盛は裏庭の土にお返しすることになってしまいましたが。
私は食事から何から人に見せられるような上品なマナーは持ち合わせていません。
しかし、在宅医療や島で医療、生活をしていると、そこで必要なマナーは確かに存在するようにも思います。
例えば訪問診療の時にお茶菓子を出されたとしたら、それを食べることがマナーなのでしょうか?
手をつけないことがマナーなのでしょうか?
食事を振舞ってもらった時に正直に好き嫌いを伝えることがマナーでしょうか?
我慢することがマナーでしょうか?
私の持論としては“結局ヤギを潰して(殺して)、振舞ってくれた島の人たちに対して、(もしヤギ汁が苦手だったとしても)そこでヤギを食べようが、食べまいが、その場でその恩を返すことなんてできない”と考えています。
これはヤギに限ったことではありません。
“ありがとう”という言葉でも、高級料理のようにお金を支払っても返すことのできない数多くの恩を、自分は波照間島でどうやって返すことができるんだろう。
いつもそういうことを考えていました。
そして、結局、私は医者で、医療によってしか返すことはできない、と思ったのです。
しかも、波照間島でその恩返しができるのは私だけでした。
当然、日本の医療保険制度の中で医療費を徴収しないわけにはいかないでしょう。波照間島でも医療費をヤギ汁で払ってもらったわけではありません。
しかし、気持ちとしては「自分にはこれしか返す方法がない」と感じて診療していました。
そういう気持ちで働いていると、医師患者関係の前提、ベースラインが根本的に違ってきます。
医療を提供している対価として何かをもらおうと考えると苦しくなってきますが、実は自分だっていろんなサービスの中で生きているんです。
都会で暮らしている時だってそうだったはずです。
ただ、波照間島より大きな都会ではサービス提供者の顔が見えず、自分の患者さんが「ヤギ汁をくれたあの人」ではなく「病人」に過ぎないと感じてしまうだけなのかもしれません。
地域に馴染んでいくということ
結局その後、私自身はさほどヤギの味に抵抗感はありませんでした。
むしろ結構美味しかったのです。
あの強烈な匂いが「臭いな〜」と思いつつ、お腹がぐぅ〜っとなりそうな、そんなソウルフードです。
海外旅行でも、現地でとっても美味しかったものが、日本に帰ってきて食べたらそこまで美味しくないように、波照間のヤギは波照間で食べるのが一番美味しいのかもしれません。ヤギを食べている時の波照間島の人たちの興奮や幸せな空気がよりいっそうヤギを美味しくさせていたような気もします。
波照間島での私の生活は、本当の優しさとはどういうことなのか、本当に患者のためになる、地域のためになる医療はどういうことなのか模索する日々だったとも言えるでしょう。