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よくインシデントは個人の責任追及ではなく、情報を共有して再発を防止するためと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
「インシデント書いときなさい!」「それインシデントだから!」などと上司から切れ口調で言われると、悪いことをやらかした罰として始末書を書かされているという感覚になります。
ミスを怒られるのが嫌だと言ってるわけではなく、注意・指導とインシデントは全くの別物だと思うのです。
「インシデント」の現実
■懲罰的インシデントです
うちの病院もそんな感じで、先輩はOKで新人はインシデントです。先輩達なら忘れてたーとかで済みます。おかしいですよね。
インシデントでると「誰がやった?」「誰がかかわった」など犯人探し状態になります。「なぜ起きたか?」「なぜそうなったか?」と、みんなに起こりうる事とはならないです…
インシデントであがってくるのは、新人か2年目ばかり。 先輩も同じミスをしてるのにインシデントにならず、ただのミスで片付きます。 私は先輩のように経験を積んだ人でも起こしてしまうインシデントを知ることで自分の学びにしたいと思っているのですが…
スタッフの中には「書けばいいんでしょう。」って態度が出てるスタッフもいます。何が問題なのか分析もせずに、すみませんって言ってくる人もいます。
国家試験で責任追求ではなく、情報共有だと勉強したのですが、1年目のミスは誰かつきとめて怒られています。 先輩たちの服薬ミスなどは軽く申し送りで報告されるのみで。
■億劫なのは仕方がない
インシデント書くことは嫌なこと、億劫なことで当たり前では? 懲罰を受けているように感じるのは自由ですが、インシデントを書くときには振り返りと反省しながらではないのですか?
嫌な気分になったから始末書感覚になるというのは自分の心の持ち方と思います。
私達のミスは直接患者の身体や生命に直結する。そうしたミスについての報告書を書く際に、何の陰性感情も抱かずに書きたい、というのはちょっと考え方が甘いように感じます。
そもそも「インシデントレポート」とは…
■再発防止のための振り返り
未然防止・再発防止の観点から言うと、インシデントアクシデントレポートは宝物
レポートするのはやはり自分の振り返り。 再発防止のために今後自分がどのように行えば良いのか客観的な視点で書いていくと良いと思います。
ミスはミス、注意されて当たり前。本人は十分わかってても、それは誰にでも起こりうること。 だから他の人が同じミスをしないためにどうするか検討し対策を考える。そのために報告書は最低でも必要なのではないのでしょうか。
■「懲罰感」をなくすには?
誰がインシデントレポートを書いたかわからないようになってます。最終目的は「同じミスを繰り返さない」ですよね。
レポートを書くのが嫌で、隠蔽が起こる。 インシデントアクシデントレポートは、始末書ではありません。管理職からその考えを発信できないと、事故防止などできるわけがありません。
インシデント→現状把握→解析→対策案→対策→結果把握→今後の課題。とかに流れて行かないと単なる「バツ」になりますよね。
レポートを提出後、その内容が看護職員に提示され、二度と同じことが起きないように対策が練られていて、それが実行に移されている、この一連のプロセスが当たり前のように行われるとしたら、お仕置きレポートのように感じなくなるのではないでしょうか。
うちの病院は、ひとつのことに対してかかわった薬剤師・看護師・ケアワーカーなど、みんなレポートを提出して話し合いします
医療安全に取り組むなら、一つのインシデントに携わったすべてのスタッフが関わりを持たないと、改善できない。 最後に関与したNsばかり書いていても、病院全体の医療安全のレベルUpには、つながらないと思う
関連トピック:「
インシデントは再発防止のため?
」
イラスト・なしま