編集部セレクション
  • 公開日: 2022/8/19

「患者さんが亡くなっても何で平然としていられる?」と聞かれたら…

「ラウンジ☆セレクト」は「ラウンジ」で盛り上がった話題と、そこに寄せられたみなさんのご意見を紹介しています。

 今回のトピック 
私は離床指導者3年目の看護師です。
今大学生が統合実習でうちの病棟に来ています。学生さんが受け持っていた患者様が亡くなってしまいました。その時学生さんは泣いてしまい実習どころではなくなってしまうほどでした。
その日、その子から質問がありました。「どうして看護師さんは患者様と毎日接したりしているのに亡くなった時には平然としてられるのですか?」という質問でした。正直私は言葉が詰まりました。新人の時には確かに患者様が亡くなったときには涙が出ました。でもいつからか日勤帯でステるのはやめてとか夜勤帯でステったら嫌だなと考えるようになってしまっていました。
また別の学生さんからは「人の死に慣れてしまうっていうのは本当なんですか?」の質問に何も答えられませんでした。
みなさんはこのような質問をされた時になんと答えますか?
決して人の死に慣れてはいけないとは思います。しかしこの仕事はどうしても人の死から逃げることはできません。みなさんの考えを聞かせてください。

 

なぜ看護師は泣かないのか

■「亡くなる=悲しい=涙」そんな単純なことじゃない

「泣いている=共感」ではないと思いますし、「死=泣く」でもないと思います。看護師まで悲しんでいて誰が家族の悲しさを受け止めるでしょう?介護されてきたことを労い、患者さんが一生懸命闘病されてきたことを振り返り、そして最後綺麗な姿で退院されるまで、しっかりとサポートして差し上げるのが死への看護と私は思っています。

泣くのが感情表現の全てではありません。今後看護師になって色々な考えが出てくるでしょう。でも学生の頃泣いた自分の気持ちを忘れないで欲しいんです。その気持ちが自分の根本なんです。

泣いたらいいってもんじゃない。泣けば済むほど、人の命は軽くない。私たちは、看護として最後まで寄り添います。泣くのは1人、ベッドの中。

看護師がしなければならないのは泣くことよりも、心をこめて、患者様を見送る事であり泣くことがイコール心を込める事ではないと思います。

■看護師は「プロ」だから

[死]の場面だけを切り取るから、そうなるんじゃないかな。死に至る期間を医療のプロとして関わり、ケアに繋げる。「死に慣れる」のとは違う、その都度必要な看護の提供がそこにあるはずだから。

看護師が悲しむ時間は、時が落ち着いてからです。患者さんの死から次回に繋げられる看護を学び、振り返ることも大切な役割です。患者さんが頑張ったことを、認めてあげれる瞬間に立ち会えるのに、その場に涙は似合いません

亡くなってしまった悲しい出来事に対して気持ちが揺れて重大なミスをしたら許されますか?ってことだと思うんですよね。死について慣れるんじゃなくて、感情をコントロールできるようになるだけです。

覚悟の差が一番大きいのではないかと思います。覚悟する事への慣れと、患者との距離感のとりかたの慣れ。経験を積めば近く亡くなられる方が予測つくようになり、予め覚悟することも可能ですし、亡くなられること前提の距離感を取れるようにもなります。

■実際に患者さんの死を経験して、考え方が変わった

学生の時や新人Nsの時は『死=悪』だと思ってました。上手く説明できませんが、あってはならないことだと思ってました。ただ、亡くなるまで頑張っている姿を目撃して。この方達は『生き抜いた』んだと、『生』の延長には『死』が必ずついてくるのだと思うようになりました。生きる事が日常なように、死んで行くことも本来は日常なのだと。最後のその時まで何かのお役に立てればと思ってます。

患者の死に対する感情に大きな違いを見つけました。新人の頃、死=哀しみ、お別れ、情けなさ、謝罪の気持ちなどとにかくマイナスな感情ばかりでした。今は、お疲れ様、今までよく頑張ったね、など、ねぎらい・いたわりの感情に変わっていました。看護師は死に慣れるのではなく、死の捉え方が変わるのだと思います。

先週初めて受け持ち患者さんが亡くなった際に正直思ったのは「泣いてる暇はない」でした。慣れといえば慣れかもしれないですが、様々な最期を見ると《最期のあり方》の受容が大きくなるのかなと思う経験でした。

■真剣に死と向き合っているからこそ、できること

いつだって死に真摯に向き合っているからこそ、落ち着いて周りを見渡しながら、患者さんの最後に関わることができるのではないでしょうか。

苦しんで亡くなる人を多く見てきたので、苦しみから開放されるなら、死ぬことは決して悲しいことではないと思うようになりました。

慣れるではなく、患者様にトコトン向き合って、看護師として出来ることはし尽くした結果であれば、患者様の生きて来られた頑張りを認める、そして労うだけではないでしょうか。誠実に、死と向き合っている患者様に寄り添うだけです。

■決して慣れているわけじゃなく…

実際に働くと学生の頃にはなかった他の患者さんへの責任が出てきます。仕事をする上での責任があるから泣けないんだと思います。私はどんな大変な時、辛い時でも患者さんの前では変わらない笑顔を見せる先輩達を尊敬しています。

覚悟の差が一番大きいのではないかと思います。経験を積めば近く亡くなられる方が予測つくようになり、予め覚悟することも可能ですし、亡くなられること前提の距離感を取れるようにもなります。

慣れではなく、我慢ができるようになるだけのことではないかと。年齢だけでも数年違うし、仕事として現場にいるのと、勉強のためにいるのとでは大きな違いがあります。簡単にいえば、子供と大人の違い。なのではないかとわたしは思います。

■「泣く・泣かないより」大事なこと

亡くなった人や家族に労いの言葉や声掛けをできるのは看護師だと思います。一緒に悲しみ、泣くのは決して悪いと思わないし、人の死に慣れてはいけないと思いますが、泣くだけで終わってしまってもいけないと思います。

その学生さんに人が亡くなった時に泣くのが当然という感覚に疑問を持ってもらいたいなと思います。感情を表す時に立場や場所をわきまえるのは、社会人として必要です。看護師として、自分の悲しみより、優先しなくてはいけないことが沢山あります。

二年前、主人を胃癌で亡くしました。闘病生活およそ1年。37歳でした。主人の最期、夜勤帯で、3人の看護師さんにお世話になりました。主人の最期が信じられず、涙も出ない私に、涙を堪えて言葉をかけてくださった看護師さん。そのおかけで私は泣けました。自分の死生観で動くのではなく、相手の死生観を捉えた対応ができる看護師さんに、看てもらう側として心を動かされました。

原因わからずわずか2ヵ月で元気だった母が、亡くなりました!その時、私はもちろん号泣。看護師さんも母の話しをしながら、泣いていました!でも、そんな優しい看護師さんに看取られたのだと思うと感謝しています!そんな看護もありなんだと、私よりも遥か若い看護師さんに教えられました!

■学生さんと、どう関われば…?

学生はもしかすると、人の死に接すること自体が怖かったり、混乱したりしたのかもしれません。身近な人の死と重なり、追体験しているかもしれません。しかし、彼らはまだまだ未熟なので、感情を整理できず、ことばを使って適切に処理することができません。なので、僕はまず逆に聞いてみます。その味わっている気持ちに添って、僕自身が体験し、意味付けてきたことを一緒に共有しています。

学生や新人から質問されたら、解答と同時に質問を返すことにしてます。質問の意図を確認するのと、質問者の考えを把握するのと、教えた内容を正しく認識しているか、確認するためです。 学生は、なぜ泣いたのか?そこを踏まえたうえで、看護師は何故泣かない(人もいる)か考えてみるのはいかがでしょうか。

学生の内は慣れる慣れないではなく患者さんの死を通して何を感じ何を学ぶかが大切ではないでしょうか。患者さんが亡くなった際にする事がエンゼルケアだけではない事を伝え、そこから看護観や死生観を広げるように促してみてはどうでしょうか?

「どうしてそう思ったの?」とか話をゆっくり聞いてあげて答えを自分で見つけることができるように指導しつつ、学生さんへの悲嘆のケアも同時進行すると思います。学生が自分で答えを見つけて行けるように道をつけてあげるのがベストだと思います。

関連トピック:「 看護師・学生さんの意見を聞かせてください
イラスト・なしま

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