「ラウンジ☆セレクト」は「ラウンジ」で盛り上がった話題と、そこに寄せられたみなさんのご意見を紹介しています。
今日はある筋疾患の患者さんの受け持ちでした。
ストレッチャーからベッドに移乗した際に「さっき右を向いていたので、ごはん(注入)まで左向きでも大丈夫ですか?」と声かけして、了承を得られたので左側臥位をとりました。
後で主任クラスの人に呼ばれて「何で患者さんに向きたい方向を聞かないの。業務中心になってるからでしょ?患者さんが可哀想。」と言われました。その患者さんは筋疾患のため眼球しか動かないので、文字板でしか意思疎通できません。どんなに時間がかかっても、文字板で訴えを聞いて、少しでも安楽に過ごせるようにと思いながら看護しています。
時間内に終わらせることしか考えてないなんてこと、絶対にありません。なのにそんな言われ方して、悲しくてたまりません。
体位変換の声かけは問題があったのでしょうか?「患者さんが可哀想」なんて言葉、指導のうちでしょうか?
看護ケアに重要なもの
■「可哀相」の根拠って…?
文字通りのセリフなら、根拠が見えないもんな。憶測でモノを言っているし、一方的な感じ。
主任クラスの人は患者さんに、どちらを向きたいか聞けと言ったのですか?どう解釈すれば『業務中心になっている』となるのか不思議ですね。ミスの粗探しするような人が言う「患者さんが可哀想」って発言は指導じゃないでしょ。明らかに粗探しのイヤミ、イチャモンですね。
主任クラスの看護師の方は、”なぜ どうして?”が抜けているように思います。注意するにしても相手がどうしてこのような行動や発言をしたかを考えることが必要だと思います。
患者さんがかわいそう!って言うナースいるいる。たがが感情論で言われても、言われた方がかわいそう!だわ
■患者さんの要望≠安楽
患者の希望が通りが、一番安楽とは限りません。食後が、右側になるような配慮もしているんですよね?
できる限り患者さんの意向に添う事は大切ですが、それが一番その方の利益になるとは限らないですから。
私たちにできることは「日常生活を安心して安楽におくれるように」本人の向きたい方向を聞くだけではなく、先回りして身の回りを整える、本人の思いを察知してあげることなのではないかなあと思うのです。
先の経管栄養?の事を考えて、経管栄養開始まで左側臥位にするこで、患者さんに了解を得ておこなった意味ある看護行為だと思います。患者さんにとって経管栄養を右側臥位でおこなうメリットはあっても苦痛や何かデメリットがあるでしょうか?
■もう一歩踏み込んだ看護・ケアのために
文字版で意思疎通できるなら、今度患者さんに好きな方向を確認しておく。好きな方向を分かっててもたまに別の方向を向いてもらう事があることも事前に意思疎通しておくと、いいんじゃないでしょうか。
「左向きでも大丈夫ですか?」という言葉ではなくて、「今まで右向きだったので、ごはんまで左向きになりましょうね」と言うと、少し受け止め方が違ったのかなぁとも思いますが…
答えやすいクローズドクエスチョンを意識的にも無意識的にも選択しがちですが、今回の件だと、「みぎ」「ひだり」「うえむき」を患者さんに答えてもらう声掛けでもよかったかもしれませんね。文字盤でのコミュニケーションは、意思表示の方法が限られている患者さんにとって、「自分の声」や「自分の気持ち」というだけではなく、伝えることそのものが「生きていること」であり、「普通のおしゃべりができること」がなにより嬉しいのだそうです。
「こうしてあげたい」をいつも看護として提供できなかったとしても、主さんが心掛けていることは患者さんに伝わっていると思います。少なくとも「今日の担当はこの人か…」とがっかりされてはいないはず。
関連トピック:「
「患者さんが可哀想」
」
イラスト・なしま