エッセイ

ナースのちょっとイイ話

看護のプロであっても、認知症の祖母の一言に、思わず…

2016/5/28

テーマ:看護師の私が体験した、家族の介護

「どうせ、私なんか死んでしまえばええんやろ!」

colum 8

正反対な、二人の祖母

私は、大学に通う看護学生です。
私には、同じ年代の一人暮らしのお婆ちゃんが二人います。
一人は、大都会の高級住宅地に住むお婆ちゃん。明るく前向きな性格で、自立した日常生活を送り、食事や運動にも気を配る。まるで、老年看護の教科書に出てくる高齢者の『良い見本』のようなお婆ちゃん。
もう一人は、市の中心から車で30分以上離れた山奥の田舎に住むお婆ちゃん。軽度の認知症で、日常生活も介護がないと難しい状態。また、落ち込みやすく、時には泣くことも。
住んでいる場所も、生活も、性格も。正反対な二人のお婆ちゃん。でも、共通している所も。それは、『最後まで自立して一人暮らしをしたい。』というプライド。
私達家族は、当然、大事な家族の一員である二人の思いを何とか叶えたいと願っているのです。それに、自分だって年をとったら、そう思うだろうし。二人の思いは痛いほどよくわかる。
けれど、認知症を抱えるお婆ちゃんの場合、一人暮らしをするためには流石に誰かの助けが必要です。
だけど、お婆ちゃんは自立した一人暮らしを望んでいるから、ヘルパーや訪問看護などの利用することは難しい。

「どうせ、私なんか死んでしまえばええんやろ!」

私達家族は、頑張っていると思うのです。
両親は仕事をしていて忙しい。私も遠くの大学に通っているし、妹は高校生。学業だけでなく、部活やサークル、実習、塾など。学生としてやりたいこと、やらなければいけないことが沢山ある。
お婆ちゃんを説得し、ヘルパーにはほんの少し入ってもらうようにはしている。
けれど、家族一人一人が忙しい合間を縫って、車で30分以上かかる田舎のお婆ちゃんの家に、作ったご飯を届けにいったり、掃除をしたり、薬を飲ませたり、病院に連れて行ったり。毎日、元気かどうかを確認するために電話をかけてるのも欠かさない。
しかし、どんなに会いに行っても、電話の中でも、お婆ちゃんは泣くばかり。「寂しい。悲しい。辛い。」
一方、大都会のお婆ちゃんに電話すると、「元気!楽しい!幸せよ!」と明るい。しかも、自立しているから介護も必要なし。
『教科書みたいな良い高齢者の見本』のようなお婆ちゃんと、どうしても比較してしまうせいなのか。忙しい合間をぬって、遠い田舎まで足を運び、認知症の症状に振り回されながらも、お婆ちゃんの一人暮らしを支える介護に疲れたからなのか。
私の母は経験を積んだ看護師ですが、ある日、お婆ちゃんについ言ってしまったのです。
「なぁ、婆ちゃん。婆ちゃんはもう一人で生活なんてできんの!もう一人のお婆ちゃんとは違うんだから。だから、一人暮らしなんて止めよ?」
すると、お婆ちゃん、泣きながら言いました。「どうせ、私なんか死んでしまえばええんやろ!」

辛いのは本人だけではない

私は、悲しくなりました。あれだけ、授業で優しさや傾聴、受容、共感など、看護で大事なことを学んだのに。直接口に出してはいませんが、私は母と全く同じことを思ったのです。
母を責める気は全くありません。
だって、口に出した母は、もっと辛かったんだということを知っているから。自分はお婆ちゃんの子どもで看護師だからと、家族の誰よりもお婆ちゃんの介護を頑張っていたことを知っているから。本当はこんなこと思ってないことを知っているから。つい、お婆ちゃんを追い詰めるような酷いことを言ってしまうほどに、私達も「介護」に追い詰められていたんだと思います。
この時の後悔を、私は一生忘れることはないでしょう。でも、同時に私は学びました。
「家族だって介護で追いつめられて辛いんだ、苦しいんだ」と。たとえ、看護や介護のプロであったとしても。

●執筆●あーちゃん さん

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