• 公開日: 2014/8/7
  • 更新日: 2018/12/13

無我夢中、心身ともに限界ギリギリの中、支えてくれた人があってこそ手に入れられた看護師資格

テーマ:准看護師を経て看護師へ

もっともハードだった頃~通信制進学課程への進学

30歳台半ば、4人の子供を抱えての挑戦

私が通信制進学コースに入学したのは、2007年の春でした。当時、私は30歳台半ばで、子供達は高校生、中学生、保育園2人の4人の子供を抱えての挑戦でした。

essay14

もうこの機会を逃したら二度とチャンスはないと夫に相談すると、快諾してもらいやる気満々で頑張りました。

一人では成し遂げられなかった

しかし、常勤で夜勤もしながら寝る間も惜しんでレポート作成することは、並大抵の努力では及びませんでした。

スクーリングや実習日には、高校生の長女は一番下の三女を登校途中に保育園に送ってくれ、中学生の長男は保育園のお迎え、小学生になった二女は家事を手伝ってくれ、そして夫は家事はもちろんの事、私を精神的に支えてくれました。そこまで家族に協力してもらったのなら、手を抜くわけにはいきませんでした。

出しても突き返されるレポートの連続。どこがどういいのか悪いのかも解らず、仕事の合間の休憩時間に教務や講師に質問の電話やメールを交わし、徐々に色んな疑問が理解出来た時のよろこび、単位認定された時の達成感は全ての苦労が報われた思いで満たされ、挫折しかけては前に進み、本当は2年で卒業する所を3年かけて卒業、国家試験に合格することができました。この事は私一人で成し遂げた結果ではありません。家族そして講師の先生方、職場の理解も大きな力となりました。

長女と共に「合格」!

国試の勉強はちょうど長女の大学受験と重なり、二人で遅くまで励まし合いながら長女も看護大学受験に合格することができました。

その長女も今年の春に国試に合格することができ、現在看護師として他府県で勤務しています。

長女が実習中、『家事も育児も仕事もしながら学校行ってたなんて大変やってんなぁ…お母はすごいわ尊敬するわ』と言われ、普段家族の前で流したことがない涙が溢れて止めることができず困りました。

今、振り返ると、あの時は無我夢中でした。寝ずに仕事に行き心身共に限界近く、その中にも支えてくれる人の存在は危機状態を救ってくれた救世主でした。

私は進学したことで、看護師の資格と家族の絆、努力は報われると言う事を学びました。

今、頑張っているみなさんへ

今、通信制進学コースで学び、挫折しそうな思いをされたいる方に、今諦めずに頑張り通して欲しいと思います。2年で卒業する事にこだわらず、じっくりと学んでください。私は留年した時に、最初はすごく落ち込みましたが、人よりも1年多く勉強できるといい方向に思うようにしました。辛くなったら立ち止まって周りの景色を見てください。きっと今まで見えていなかった景色や音、人々が癒してくれます。少し休憩してまた前に向かって進んでください。努力は必ず報われます。そして努力は必ず将来あなたを助けてくれる武器になりますから。

●執筆●みるく さん

このエッセイは 「ナースエッセイ」 にご応募いただいたものです。
あなたも「想い」を綴ってみませんか? ご参加は こちら から!

関連記事

看護知識

ナース専科で看護知識を”学ぶ”記事ランキング