「ラウンジ☆セレクト」は「ラウンジ」で盛り上がった話題と、そこに寄せられたみなさんのご意見を紹介しています。
最近、循環器の患者さんを受け持たせていただくことが多い新人です。
心不全や糖尿病の患者さんには入院中、退院後の生活指導、疾患教育を行ってから退院していただくのですが、退院して一週間経つか経たないかで病状悪化で再入院してくる人が何人か続き、私自身が疲れてしまったと感じています。
時には「お前には関係ない」「うるさい!」と怒鳴られながら、それでも退院時には自分の疾患、注意点をしっかり守る大切さとその方法を表出できるようになった方たちばかりです。
そして今日、もうすぐ退院の患者さんに教育をしていたら「俺は退院したら何もかも好きにする。何を言ったって無駄。俺がよければいい。」と言われ、張りつめていた糸が切れたような感覚になりました。
私たちがしてきたことは何だったのか?何か意味があったのか?すべて無駄だったんじゃないのか?虚しさでいっぱいになりました。
退院指導は何年経っても難しい
私も若い時患者教育指導して又すぐ再入院あり得ないしと情けないやら悔しいやら馬鹿馬鹿しいやらしどうにもならない時がありました。アセスメントのあまさですよね。
貴方は悪く無いですよ。其れが病気です。色々な患者様居ます。多いのは精神科でしょうか。再入院は良く有る事、依存症の患者様は「もう止める」と言っても2W後再入院は良くある話。
貴方のお気持ち=自分を思って指導してくれていること、は通じていると思いますよ。虚しくなるお気持ちはとても良く分かります。十何年やってても、再入院になれば「またか…」と凹んでます。
どうしたら患者さんに伝わるのか…?
■否定と要望ばかりになっていませんか?
指導と言って1から10まで「~してください」「~しないとダメです」だと患者さんも反発心を持ちやすい気がします。なので私なら「水はあまり飲み過ぎない方がいいと思いますよ」とか「薬は是非飲みましょう。せっかく薬貰ったのに飲まないなんて勿体無い!薬飲んでおけば、しょっちゅう入院なんかしなくてよくなりますよ」とか伝えます。
ダメダメ云うと耳を塞ぐ人が多いので、軽い感じで伝えることも多いです。指導を守れないで再入院してきたら、あなたが心配・指導を守ってくれなくて私は悲しいという気持ちを伝えることも良くあります。じゃないと看護師を人として見てくれない患者さんもいるので。
指導や教育が”患者さんに○○して欲しい”になってはいませんか?本当に患者さんに必要な事を患者さんが理解し得た時に行動に移る事が出来ると思います。
■再入院は重要なきっかけ
せっかく再入院してくれているのだから、患者さんが今後どうしたいか、そのための生活していくには、どうしたらいいと思うかと、逆に聞いてみるチャンスなのではありませんか?もしかしたら、患者さんは自分のやりたいことを聞いてくれるだけで満足で、本当は、すでに解決策を自身で見いだしていることも多いです。
欲求に勝てないんだと思います。でも、それはこちらの見解。患者さんからすれば、悪くなってもいいから食べたい、飲みたい、と思ってらっしゃるのかもしれません。指導内容が本当に理解できているか、抑制されたストレスが溜まりすぎてないかなど、理由を一緒に考えられるといいと思います。
■人の考えを変えるのは難しいので…
伝わらないのは、患者さんが出来そうだと思える実践方法を提供していない、もしくはやらなければいけないことをたくさん提案するなど、自分の伝え方にもよるんです。生活を変えることは、少しの努力のようでも、患者さんにとっては大きな努力なのかもしれません。人の価値観は違います。
一方的な指導では、人を変えることは出来ません。ときには、患者さんの流れに自分が乗っていくような、そんな気持ちで、少し楽に接してみてもいいのではないですか。指導だけが看護ではなく、話を聞くことも看護です。患者さんの出来る力を引き出す看護をエンパワメントする、と言います。
■様々な角度からの「患者理解」があります。
私自身、アトピー性皮膚炎が酷く…食事制限を続けて12年になります。始めて一年間は夢にも見るほど…辛くて。でも、確かに軽快し、痒みが楽になりました。でも食べたいし、痒みを承知の上で時折…食べてしまいます…患者の気持ちを理解するには、自分も患者になるまでは解りませんでした。
看護師として、教育や指導はしていくけれど、患者さん本人の希望として寿命より生き方を優先したいと話してくだされば、私は患者さんが何度再入院になっても笑顔で迎えられるかなと感じました。そんな患者さんには、教育や指導はこちらの自己満足でしかないのかなと思うからです。
多くの方々の終末期に携わる中で、人の命には必ず終わりがくることを実感したり、「寿命が縮んでも良いから、限りある人生好きなものを食べ、好きなことをしたい」という意見を聞くなかで、考え方が変わりました。自分も好きなものを制限されて生きることは苦しいと思います。
あなたがおこなった指導も教育もその何回かの一つになっているのですから、無駄ではないし無力でもありません。患者さんが自分にとってとても大切な事と自覚できるまでには、体験が必要だったんだと思えませんか?それも患者理解です。
どうして守れないのか生活背景や『想い』まで突っ込んだことはありますか?年上が年下に教育される、それも患者さんはプライドを傷つけられます。
説明と指導はしっかりしなければいけない理由
■少しでも再入院を避けるために
わたしの職場では退院困難な要因のある方に対して「退院前カンファレンス」を行っています。入退院を繰り返すとか、ADLの低下が予測されるとか、介護力不足とか…が考えられる方に対して事前にスクリーニングシートを使って、ソーシャルワーカーとあらかじめ打ち合わせておき、退院が近くなればご本人、家族、ケアマネ、介護の方を含めてカンファレンスを行います。周囲の協力や支援があって在宅復帰が可能な方は多いですから。
あなたの病院に慢性心不全看護の認定看護師さんは、いらっしゃいませんか?うちの病棟には、慢性心不全看護の認定を取得した看護師がいますので、コンプライアンスの悪い患者さんに対する指導などで困ったことがあれば相談したりしています。毎日Dr-Ns間でカンファレンスを行い、必要があればそこにMSWも加わってもらい、連携しながら援助を行っています。
■クレームにつながる場合も
「どうせ守らないから」といって不十分な指導をすると「きちんと指導してくれなかったからこんな体になってしまった」とのクレームを受ける危険性があります。だから、後にクレームを言わせないよう、指導はしっかりしておくことにしました。
本人、家族に十分な説明をし、内容やそれに対する反応を記録に残しておかないと、後に説明不足と言われる可能性があるので、説明することは怠ってはいけません。でも、本人が納得の上ならば、あまりがんじがらめに制限したり、制限を守れなかったことを責める権利は無いと思います。
関連トピック:「
看護の意味
」
イラスト・なしま