• 公開日: 2018/8/18
  • 更新日: 2018/12/13

SAHで右麻痺の障害をもった私に、再びナースとして働きたいと思わせてくれた「一言」

テーマ:忘れられない出会い

麻痺があってもあなたはあなたで、素晴らしいから

anata

SAHを発症し、右片麻痺の障害を負う

私は、20年前に自宅でSAHとなり、右片麻痺の障害者になってしまいました。
当時、私には小3・年長・2歳の子供たちがいました。
やっとICUから出て、個室へ移動した翌日、10日ぶりに子供たちと会えましたが、大好きだった子供たちのことを忘れてしまうほど、ショックで立ち直れない日々が続いていました。
ただ、2歳の次男の「お母さんと一緒に寝る!おうちには帰らない~!!」と泣かれたことがきっかけになって、元々前向きな性格こともあり、「これではいけない、なんとしても看護師として仕事をしたい」と考え、発症後、約半年はリハビリテーションを必死で頑張りました。

主治医の言葉に…

実は、私には右片麻痺に加えて、言語障害もあり会話も電話もできない状況でした。
物の名前と記入した名前が異なることは日常茶飯事で、保育園の連絡手帳への記載も、記入してから義母に確認してもらうという作業が必要でした。
さらに2歳の次男とのコミュニケーションも困難ではありましたが、今から思うと、その時彼がいたからこそ、私の言語障害を治す手助けをしてもらったと思っています。
ある外来受診日に自分の診療情報提供書をひょんなことでみてしまい、手術後の確認の造影検査で脳梗塞になってしまったことを知りました。
医療裁判で訴えたい、と当時の主治医に涙ながら訴えたことがあります。
その時、主治医が「あなたに麻痺があっても、あなたはあなたで素晴らしい人。麻痺があっても、きっとあなたは魅力的で素晴らしい看護師になるから。裁判する時間が勿体無いよ。ゆっくり、回復に努めてほしい。」といわれました。

今でも看護師として

あれから、20年。病院の外来の片隅で「看護相談」と看板を掲げて看護師として仕事を続けています。言語障害も麻痺も、自分の中では残っていますが、意識をすることクリアできています。
あの日、外来で医師から言われた言葉は、そのまま私の座右の銘となっています。
3人の子供は、それぞれ看護師・OTになって、私を支えてくれています。

●執筆●maco さん
200床以下の総合病院の外来でひとりで健康相談を行っています
このエッセイは 「ナースエッセイ」 にご応募いただいたものです。
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