白十字訪問看護ステーション、暮らしの保健室、マギーズ東京…看護師として現場に立ちながらも、制度だけに捉われず、社会を支えるために勢力的に活動をされてきた秋山正子さん。今回は、そんな秋山さんに、これまでの経歴とその時々の出来事、看護師としてのキャリアの価値観などをお聴きしてきました。
『これはいったい何なの!?』と思っているうちに亡くなってしまった…看護師を志すキッカケとなった父親の死
秋山さんは、高校1年生の時に父親を亡くしています。「16歳という多感な時期に、父親が手術を受け、その後、認知症のような症状がでて…『これはいったい何なの!?』と思っているうちに亡くなってしまいました。」この時、秋山さんは父親の病気を知りませんでした。秋山さんが死の原因を知ったのは、父親の逝去から1年半後。癌でした。
当時高校1年生だった秋山さんへの配慮から、病気を知らされなかったのだろうことは理解していたものの、母親が「予後3~4か月だと言われていた父親と自宅で一緒に生活できて、結果的に1年半も生きることができた。後悔はない」と語る姿をみて、もし自分もその事実を知っていたら、もっと何かできていたのではないか…と、秋山さんは考えるようになったのだそうです。
このときの経験が大きなきっかけになり、自分の親に出来なかったことを他の人に出来ればと、看護師の道を目指しました。
姉の余命が1ヶ月!次の転機は、姉の癌でした。
聖路加国際大学に進学し、卒業後は助産師として病院勤務を経験、その後看護学校で教鞭をとり…助産師人生を歩んでいた秋山さんに訪れた、人生2回目の転機は、やはり身内の癌でした。
秋山さんが39歳の時、神奈川県で暮らす姉に癌が見つかり、余命1ヶ月と宣告されます。
それを知った秋山さんが真っ先にされたことは、現状の制度やサービスの枠組みから一旦離れて、「姉が最後の時間を幸せに過ごすためには、どこで過ごすのがベストなのか?」をゼロから考えるということ。秋山さんの答えは、「病院ではなく、家庭」でした。しかし当時は1990年頃、今のような在宅医療や介護の制度は整っていませんでした。
そこで、医療的管理、家事援助など、姉を支えるため専門家に頼む部分、家族に頼める部分…と自宅療養を実現させるための計画を立てていくと、自然発生的に“多職種での在宅チーム”が出来上がっていったそうです。
「何もない状態のなかで、真ん中にいる人(姉や姉の家族)にとって何が一番良いのか、そのためにどうケアを提供するのか、どう支えるのかを考えました。制度や資源に足りないものがある中で、でもなんとかやり遂げるために考え抜いた結果、在宅チームが出来上がっていました」。
姉の夫は仕事を休み、母も姉の元に来て直接的な支援を始めました。京都に住んでいた秋山さんは、普段はテレビ電話で状況確認や家族の相談にのり、助言や社会資源の調整を担当し、1~2週間に一度は姉の住む神奈川県を訪れる、という生活を始めます。
結果として、お姉さんは伝えられた予後より長い時間を家族と過ごすことが出来ました。このときの経験をきっかけに、秋山さんは訪問看護への方向転換を決意します。
©Koji Fujii/ Nacása & Partners Inc.秋山さんがセンター長を務める、キャンサーケアリングセンター「マギーズ東京」
必要なケアを実現する。可能性を信じて飛び込んだ、訪問看護の世界
「訪問看護で働いてみて、自身の看護観にピッタリだと感じました」と語る秋山さん。それまで秋山さんは、「患者中心のケアを大切にした、自分の看護観と合う仕事をしたい」ということを軸に、キャリアを選択してきました。そして訪問看護に行き着き、これこそが自分がすべき看護だと思ったのだそうです。
当時勤務されていた訪問看護事業所について、「同じ方向を目指せると感じたので、勤務を決めました。多少の意見の違いはあっても、訪問看護の面白さも含めて『自分たちは何を目指して訪問看護をしているのか』その目標はハッキリしていました。自分の意見も伝えることができ、ディスカッションも多くできるような集団でした」と話す秋山さん。受け持ち制だったので、ご本人やご家族と深く関わり、その人に本当に必要なケア・支援は何なのか、よく考えていたそうです。必要なケアや、あるべき状況のために、「どう変えていくべきか」を考え積極的に行動する秋山さんの周りには、沢山の協力者や仲間が増えていきました。
その後、訪問看護事業所が属していた診療所が閉鎖され、その時にいた6人の訪問看護師と共に、新たに訪問看護ステーションを起業。以来、ずっと訪問看護事業を続けてきました。
いい出会いも、うれしいことも、自分で考え選択した先に待っている
今でも、「暮らしの保健室」や「マギーズ東京」など精力的に活動され、いつお逢いしても笑顔で話ししてくださる秋山さん。率直に、看護を楽しいと思える瞬間について尋ねてみました。
「看護師として関りを持った方がよい表情をしてくださったり、ご家族の方が満足そうにしてくださったり、そういったことにうれしさを感じます。看取りやエンドオブライフケアの過程で様々な関りをしていって、そして最期に亡くなった時、そのご家族から『本当にこれで良かったと心から思える』という一言を頂いたことがあって…その時、ご家族の方皆さんが、とても良い表情をされていたんです。『ああ、本当にやって良かったな』と思えました。」
「かつて、16歳の娘さんがいらっしゃるお母様を看取ったことがあるのですが、何年も経った後に、その娘さんからご連絡をいただいたことがあります。今度はお父様を看取るという場面になった時に、マギーズ東京のニュースを見て私を思い出してくださり、電話をくださって…相談に乗ることができました。今ではそんな繋がりも生まれてきています。本当にビックリし、ありがたいとも感じました。それも幸せでしたね」と、笑顔で話してくださいました。
今、秋山さんは、マギーズ東京で相談にのる機会も多いそうです。相談はケアリングの一部であり、それは看護の臨床の一部でもあると話す秋山さん。今も看護の実践家である秋山さんは、キャリアについて「自分で考え、自分で選択する。そうすれば、辛いことがあっても『もう少し頑張ってみよう』と思えるし、そうして自分で選んだからこそ、いい出会いや楽しい事が沢山あるもの」と教えてくれました。
「若い時って、本当は凄く夢をみることができるし、夢を語れると私は思っているけど、時に『こうでなければいけない』と固まった見方をしてしまう時もあります。そんな時は色んな方と沢山話しをして、夢を語って欲しいです。マギーズ東京もずっと夢を語って、仲間が出来て、そして今があります。」
さいごに
迷ったとき、『こうでなければいけない』と固まった見方から出られないとき…そんな時はすべきことは「色んな方と沢山話しをして、夢を語ること」。秋山さんが語ってくださったこの言葉が、とても印象に残りました。
秋山さんは、NURSE FES TOKYO2018(ナースフェス東京2018)基調講演「ナースとしての働き方~ケア時代に活きる~」に、宮古あずささん、勝原裕美子さんと共にご登壇されます。NURSE FES TOKYO2018(ナースフェス東京2018)では豪華な基調講演やセミナーを始め、多様な活動をする看護師に出会えたり、参加者同士のつながりもできたりするコンテンツも準備しています。是非、当日は参加者みんなで看護についての夢を語りあえる場になると嬉しいです。
●ナースフェス東京2018●
ナースフェス東京2018
2018.5.27 Sun~28 Mon
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