テーマ:「看護師なんてもう辞めてやる!」…を乗り越えたワケ
親の死に目に会えない職業
親の死に目に会えず…
看護師になって2年目の冬。私は当時小児科病棟勤務でした。プリセプター研修の一貫として後輩ナースの指導をしていた時、既に時刻は20時半過ぎ。残業扱いにもならず、「こんなに遅くなるなんて」と残念に思っていました。
病院を出てすぐの信号待ち。携帯電話を確認すると、実父の入院している病院から不在着信と留守番電話が入っていました。
「お父様が危険な状態です、すぐにご連絡下さい」
電話を折り返すと「誠に残念ですがすでに心拍が停止されておりまして」と担当医。
あと少し早ければ、せめて死に目に間に会えたのに。
いらだちと悲しみに苛まれました。
二度と看護師にはならない
「看護師であるにも関わらず大事な人を看取れない。」
「私の一番大切なものは仕事ではなく、家族だったのに。」
小児科では生命の神秘を感じることや子供たちの笑顔を取り戻したいと思うことはあっても、亡くなる方は一人もいませんでした。
まだ看護師を心から誇りにしていなかった頃の私は、己の未熟さを悔いてばかりの看護師生活だったと思います。
父が亡くなった後に病棟へ復帰してみると情緒は不安定で些細なミスが頻発。
不快に思った先輩看護師に報告と謝罪を伝えようとしましたが存在を「無視」され続け、準夜帯に入っても21時頃までずっと無碍にされました。
自分でもどうかしていたとは思いますが、大変腹がたち、その場で退職願を書いて看護部長室へ置いて帰宅しました。
先輩看護師と話し合いの場を設けると言われても拒否し、他病棟へ配置転換してもらいましたが心がついていかずにすぐに退職。
二度と看護師にはならないと、頑なに違う仕事をしようとしました。
両側面を経験したことで持てた「自分の看護観」
しかし転職活動は思うように行きませんでした。
食うに困って不純な動機ながらも思い切って再就職した病棟が循環器科だったことが私にとっての転機でした。
ターミナルの患者さんが多く、ご家族と一緒にケアをするプランを立てたり、関わったりすることができました。
ご遺族の皆様が「安らかにいけたね、良かったね」と亡くなった患者さんに優しく話しかけている姿は、私には無かったものでした。
心にポッカリと空いた穴がゆっくりと塞がっていくようでした。
看護師になって初めて、良かったと思える看護に出会えたと思います。
看護師復帰理由は不純なものでしたが、自分の悔しかったことや辛かったことを看護する側とされる側の両側面から経験したことで、自分の看護感が持てたと思います。
今まで関わらせていただいた患者さんとご家族の皆様、そして私に「病気」や「死」という辛さを教えてくれた父に、感謝し続けようと思います。