テーマ:看護師の私が体験した、家族の介護
介護と殺意
他に頼れる人がいない中始まった、姑の介護
お姑さんが、脳梗塞となり左片麻痺になったのは、今から17年前。
当時、私の子供が小学1年生と、年少さんでした。
私には、子供を頼める実家の親兄弟が無く、入院中は、子供たちを連れて夜まで付き添ったり、お姑さんの妹さんや、主人と代わる代わる、泊まりました。
リハビリ施設へ移ってからは、子供たちを学校、保育所に送ってから、お弁当を持って施設へ毎日通いました。
それは、当時の私にとっては精一杯のやれる事でした。もちろん、辛いのは本人で、麻痺や言語障害と、受け入れ難い事だったでしょう。
だからでしょうか、私の精一杯の努力も、お姑さんには、不十分なものだったのでしょうね。
お見舞いに来て下さった方が、「良いお嫁さんで良かったね~」と、言ってくださったんですが、お姑さんは、その方の顔を真顔でじーっと見るだけで、一切無反応でした。
それ以外の会話には、笑ったり、喋りにくいながらも、返事をしていた姑でしたが、その言葉だけには、ストップモーション…苦笑いするしか無い状況でした。
一瞬私によぎったもの
そんな姑ですが、元々同居でしたし、一定期間を過ぎたこともあり、改築した我が家へ迎えました。
私は、お昼までのパートを再開し、お姑さんにはデイサービス利用してもらいました。
要介護3で、平日はデイサービスでしたが、土曜日はお休みなので、私がパートのお昼までは、社会福祉協議会から見守りのかたをお願いし、話相手に来てもらい、昼食は配食サービスを利用。介護保険をフル活用しました。
子育てと、介護の両立。さらに、パートの日々で、自分では感じていなかったのですが、ストレスが、たまっていたようです。
ある日の夕食。お姑さんをダイニングに連れてきて、エプロンをつけようとした時、つい、首をきつく結んでました。
咳きこまれ、ハッと気づきましたが、一瞬私に殺意がよぎったのを、今でも覚えています。
あれから、17年たった今年、お姑さんは90歳で亡くなりましたが、あの日あの時の事は、今でも鮮明に覚えています。
いくらサービスをフル活用していても…
皆、誰しもいつ直面するかわからない介護。
介護サービスや、役所のサービスなど、フル活用し、周りに助けてもらっていた私でも抱えたストレス。
健全な介護、生活を維持しながら、自分の人生を送るのは、とてつもなく難しいと当時も、今も思っています。