医療の場が在宅へと比重が高まるものの、まだまだ知られていない訪問看護。ここでは訪問看護の実際について、エピソードを通じてご紹介します。
看護師として、最期の後にもその人に寄り添う
昨日は、訪問の合間に斎場に脚を運び、安置されている彼女にお別れを告げてきた。
「私のお葬式の時は必ず来てね。貴方に最後まで側にいて欲しいから」と入院する前から言われていた。
棺の蓋を開けていただき、覗き込んだ時、正直、自分の知っている彼女の顔ではなかったことに改めてショックを受けた。
そして、それは同時にそれだけ彼女が頑張ったということなんだなと目頭が熱くなった。
気持ちが動揺していたため、ばちで鈴を叩こうとしていたのに、実際に叩こうとしていたのは前香炉(火をつけたお線香を立てる壺)。
それに気づいた時、思わず一人で笑いだしてしまった。
というのも、在宅で訪問している際も私は鈍臭いところがあり、「かなちゃんはおバカだね〜!」とよく笑われていたからである。 そんなやりとりを思い出し、『いま笑ってるよ絶対・・・』と泣き笑いしながら鈴を打ち直した。
故人に思いを馳せる
写真たての中の彼女は本当にいい顔をされていた。
おもてうらがない、思ったことをストレートに言う、それでいて、とても心優しい素敵な方だった。まだ60代。大腸癌での若すぎる死に胸が痛む。
二匹の猫をこよなく愛されていた彼女。
本当は最後まで自宅で看取って差し上げたかったが、独居の場合、いろんな諸事情でそれは難しいケースが多く、彼女の場合も最後の約1カ月は病院であった。
入院すると病院の看護師にバトンタッチするため、お見舞いには行けても、今までのようなケアは当然できなくなる。
彼女も麻薬で混乱している為、やり場のない怒りをぶつけてくる。
「どうしてよ!待ってたのに!」
肝性脳症と医療用麻薬で混乱してゆく彼女を目の当たりにするたび、辛くなり、面会に行く足取りが重くなっていったのも事実。
しかし、そんな中でも時々正気になり、病室から電話がかかってくることも。
「貴方、最近元気がないわよ。在宅にいた時のあのパワーは何処にいったの?もう病院にバトンタッチしたんだから貴方は休んでいいのよ」など。
あるときは、自分が1番苦しいのに「フレーフレー!かなちゃん!!自信を持って進みなさい!!」と叫んでみたり。
でも、そんな中でも、1番嬉しかった言葉は、意識が落ちるギリギリの時に面会にいった時にいただいた言葉だった。
Aさんに、「来たよ〜わかる?」と声をかけるも目の焦点があまり合わず、「誰?わかんない・・・」と。
そのため、耳もとで再度、「訪問看護師の川上加奈子が来ましたよ」と声をかけた。
するとちょっと間が空いたかと思うと、ハッとした表情になり、「あぁ!!大切な人だ!!」と手を伸ばして下さったのである。
もう、これ以上の有難い言葉はないと胸が熱くなり、しっかりと手を握り返した。
最後まで寄り添うということ。 それは本当に難しいと痛感しているが、彼女からいただいた宝物の言葉があるので、まだもう少し頑張れそうである。
明後日はお葬式。 昼間に行われるため私は仕事で行けないが、その時間には空を見上げ、ご冥福をお祈りしたいと思っている。