テーマ:東日本大震災を経験して
命の重さと助かる順番
震災当日、自分以外はみな後輩
震災当日、2交代の夜勤入りでした。自分もベテランとは言えない年数で、自分以外みな後輩。
50名ほどいる患者さんのうち、独歩で1階まで降りられそうな方は10名弱。
脳外科病棟で、人工呼吸器がついている方、意識はクリアだけれどADL全介助の方、平地歩行や車いすの自走はできるけど階段は降りられない方、ADL軽介助だけれど認知症が強く一人では避難できない方がほとんど。
出勤すると、古い病棟の壁には無数の亀裂が入り、自力で逃げられない患者さんが余震のたびに泣いていました。
「まずは自分の安全を確保」…でないと救える患者さんも救えない
強い余震が来て避難が必要になったら、建物が崩壊しそうになったら、どうしたらいいか師長に相談しました。
「まずは自分の安全を確保しなさい。でないと、救える患者さんも救えないから。」と。
でも、自分が助かったとしても、一緒に逃げられる患者さんなんてごく一部。
人工呼吸器が装着されている患者さんはまず夜勤のマンパワーでは外に搬送することはできない。崩壊しそうな建物に戻る勇気が自分にあるのか。
そもそも、狭い階段室に職員や患者さんたちが集まった時点で、将棋倒しになって、そこで死者が出るんじゃないか。その階段室に一番大きな亀裂が入っていて、避難経路として存在しているのだろうか。
自分が助かったとしても、亡くなった患者さんたちのことを思い出して生きていけるのか。自分が患者の家族だったら、どんなADLであっても助けてほしかったと思うだろう。それでもやっぱりまだ私も死にたくない。後輩たちも守らなきゃ。
そんな考えがグルグル巡るだけで、何も選択肢が思い浮かびませんでした。
命の大切さに例外はない。でも「その時」がきたら、決断するのは自分
人間も動物も、命の大切さに例外はない、小さい頃そう教わったはずなのに、明らかに、助かる順番で「命の重さ」が決まってしまう。それをリーダーである自分が決めないといけない。
数えきれないほどの余震の度、懐中電灯を持って波打つ廊下を走り、病室を回っては「避難する時は一緒に行きますから、安心してくださいね。」と嘘をついている気分で巡視をする。いつもと変わらない風に仕事を進める。
本当は、亀裂が広がる壁に一番恐怖を感じているのは自分なのに。
医療が「命」と密接に関わっている仕事だと感じた瞬間
関東地方の話です。結果的に、建物は持ちこたえ、多量に必要な経管栄養の在庫切れもおこらず、計画停電の影響もほぼ受けず、自分たちの生活の場や食料などもさほど大きな混乱なく生活していけました。
もし本当に患者さんを避難させることになって「命の順番」を私が決めていたら、今、看護の仕事を続けていられたか、分かりません。
朝が来て、日勤者が出勤し、自分の「命を順番を決める役割が終わったこと」に何とも言えない安堵感がありましたが、それは「仕事として」というだけ。ニュースを見る度に、これからの生活がどうなるのか、改めて違った怖さが湧いてきました。
その後も含め、これほどに、医療が「命」と密接に関わっている仕事だと感じた瞬間はありません。