知人を介し、ケアプロを紹介された栗原。看護師として働くことへの捨てがたい思いを抱きつつも、本当に働くことができるかは不安だったという。しかし良いスタッフに恵まれ、訪問看護師として働き始めてみると、訪問看護ならではの利点も見えてきた。そんな栗原の3回目のインタビューである。
崖っぷちに立って、新たな挑戦へ
ケアプロには、「漂着した」という表現が合いますね。知人からケアプロを紹介されてからも、気持ちの上では「もう看護師としては働くことはできないだろう」と「まだ働けるかもしれない」との間で、ゆらゆら揺れていました。
私が一番心配していたのは、人間関係でした。 今は補聴機器の助けなしには聞こえません。それらはいわゆる、健常といわれる方々と同様の聞こえ方ではないということです。そんな状況の者が、まわりの看護師たちにどのように受け止めるられるか不安でした。今まで語り尽くせないほどに色々なことがありましたから……。 多くの不安はありましたが、経済的にも崖っぷちへ立たされ、一か八かやってみようと決意し、「難しければまた道を考えよう」と思うに至りました。
今は、周囲の配慮を頂いて働けています。 聴診器は、人工内耳につなぐことのできる物を使っています(本音は「見る聴診器」という情報を視覚的に伝える聴診器を使いたいのですが、非常に高価で海外製。輸入に際し薬事法に触れるため、看護師個々での入手は困難です)。水銀血圧計と同じ方法で測定できる電子血圧計も用意していただき、活用しています。
医療機関の場合、全ての方を看なければなりません。看護師側には選択の余地はありませんし、それは、医療機関における従事者の職務でもあり、責務ともいえるでしょうか。けれど訪問看護の場合、看護師個々の状況を踏まえ、その範囲内で対応可能な方を担当させていただけます。多人数との会話やさまざまな音のあふれる環境でのコミュニケーションは難しい身ながら、過去に比較して、少ない負荷で働けることを実感しています。
静かなお部屋で一対一、顔を合わせながら看護できることは嬉しいですね。私的な経験ながらも、訪問看護はさまざまな事情のために、バリバリ働くことの難しい方にも活躍の場を提供してくれると予感しています。 ただ、訪問看護には弱点もあります。大概、単独で訪問をさせていただくため、看護師個々に求められる判断は自然と重くなるといえます。看護師一人に求められるスキルは高い、また、継続学習を必要とする場面も多々ありながら、医療機関ほどに教育等の充実や診療報酬による付加価値は乏しいように感じられます。これらの点から、訪問看護を選ぶ方が増えにくくなっていると思われてなりません。
働くためのセーフティーネットを
2006年、国連にて採決された障害者権利条約(日本は未批准)は、「他の者との平等を基礎とし、職業経験の促進に必要な配慮や支援の提供」を謳っています。そこで、子どもたちが看護師になりたいという夢を抱いた時、疾患や障害を理由として諦めることがないよう学ぶ、そして働き続けられる場を創りたいと考えています。
人間は生きている以上、常に、疾患や障害をうけるリスクにさらされていて、その時は誰にも分かりません。つまり、今から看護師個々の事情に応じた寛容な働き方の仕組みや障害者権利条約に沿う就労環境を創ることが実現できば、未来を生きる子供たちのみならず、今、働いている看護師たちのセーフティネットとしての機能も期待できるでしょう。
ここに、訪問看護の分野が貢献できる可能性も大いにあると期待しています。
参考文献
栗原房江著:障害や疾患をもつ医療従事者の歴史と展望(インターナショナルナーシング レビュー、2012年)
栗原房江著:様々なきこえの経験と人工内耳装用を選択した過程のまとめ(聴覚障害、2012年2月号)
栗原房江、熊谷晋一郎:対談 “障害をもつ者として、教育と臨床現場の今後に期待すること(看護教育、2010年10月号)
※次回は、新入社員の山川のインタビュー、水曜配信です。