テーマ:自分の希望とは違ったけれど
子育て時代はブランクではない
病棟から透析室に
子どもが保育園の時、夜勤や休日勤務の日は院内保育園に預かってもらい、平日の日勤の日には公立の保育園にと言う2ヶ所の保育園を利用していました。
上の子が小学校に進級する際に、このような生活を続けて行くことに限界を感じ、退職することも考えました。しかし、仕事のやりがいや学ぶことの楽しさを感じていたこともあり、本当はこのままこの部署で働きたい思いと、毎朝『いってらっしゃい』と子どもを送り出してあげたい気持ちとが葛藤し、なかなか結論は出せませんでした。
ある時、職場長に今の気持ちを正直に伝え、このまま働き続ける方法を相談しました。
職場長は『これからどんどん勉強して成長していく時期なのにもったいないと思うけど、子どもの成長期に親が、それも母親が子どもを見てあげないといけない時期があるから、それが今やで』といわれ、『夜勤のない透析に行くか外来か、子どもの成長を待ってまた戻っておいでよ、待ってるから』と言われました。
そして私は残業はほとんどないことから、今まで全く経験のなかった透析室を希望し、異動をすることになりました。
どこに行っても学ぶことの大切さを知る
透析では今までの対患者だけではなく、機械の操作、コミュニケーションスキルが必要となり、覚えること学ぶことの多さに毎日奮闘しましたが、一日があっと言う間に過ぎるくらい充実していました。
当時の透析室は割と年齢が高めのスタッフが多く、飛び抜けて若かった私はスタッフからも患者からも大切にされ、毎日心穏やかに仕事をすることができました。
透析は原疾患や合併症について、腎臓以外にもたくさん学ばないといけないこともありました。院内外の学習会やセミナーには都合が付く限り参加し、透析看護の奥深さにはまって行きました。
たくさんの人々に支えられて今がある
あの時に病棟にこだわり、子どもたちとの時間を疎かにしていたら、今の私はなかったでしょう。
あの時職場長が快く私を送り出してくれたこと、透析室の皆さんに温かく受け入れてもらったことで看護師としての成長ができたと心から思うことができます。
私の周りの人々の導きや自分の決断、人生のタイミングは大切ですね。