ケアプロで最初の訪問看護ステーションを立ち上げたのは、若干24歳の青年、岩本大希であった。ステーションの経営ノウハウなどもたない一介の病棟看護師であった彼が、ケアプロに参画した当時の姿を振り返る。
のちに重要となる人物との再会
話は少々過去にさかのぼるが、ケアプロの被災地支援終盤になっていた2011年11月、ケアプロ訪問看護ステーション東京にとって、のちに重要となる人物に再会した。看護師・岩本大希(当時24歳)である。
岩本はもともと私の大学の後輩であり、旧い知人であるが、ケアプロの年間事業報告会に来てくれたことをきっかけとして、再び親交が始まった。岩本はその頃、大学病院で看護師をしていたが、働きはじめて1年半が経ち、自分の進路に悩んでいた頃であった。
本人の話では、大学院に行ってMBA を取得したいが、しかし大学病院での仕事も充実していて捨てがたい。では職場でのキャリアアップを目指すのか? そんな風に、自分の将来像が混沌としていたのであった。そんなさなか、ケアプロが新事業として訪問看護事業を立ち上げることを岩本に話したところ、岩本は「自分も参画させてほしい」と訴えたのだった。
岩本に当時のことを聞いてみた。 「社長から、訪問看護を新事業として立ち上げる話を聞いた時は「それだ!!」と思いました。自分の使命が目の前に転がってきた感じがしました。なので、即決で私も参画させてほしいと伝え、もうその二日後には勤めていた大学病院に辞表を出していました」
ケアプロのスタッフは皆、「思い立ったが吉日タイプ」なのである。その後、数カ月間、岩本は大学病院の勤務と平行して訪問看護ステーションの立ち上げに参画したのであったから。しかも、私が岩本に任した責務はとても大きく、また彼も、もがきながらもそれらを果たしていったのであった。
所長になりたい気持ちは本物
そして結果的に、岩本は4か月後には、ケアプロ訪問看護ステーション東京の所長に就任することとなった。異例の大出世だ。しかも弱冠24歳。
日本一若い訪問看護事業所所長の誕生だ。
私が岩本にこのような大役を任せたのも色々な理由からであった。岩本には、さまざまな能力があった。経営や人事に関するマネジメント能力、思考力、自分の意見を表現する力……。それらの中で、なにより私が本物だと思ったのは、岩本自身の所長になりたい気持ちであった。
なにより岩本は、その目標のためにひたむきであった。24歳のとても若い岩本を所長にしたこと、それは、「ケアプロ訪問看護ステーションでは、年齢や経験に関係なく、自分の気持ちと頑張り次第でどんなことでも可能にできる」ことの象徴にもなったのであった。
所長の岩本は当初、バイクで訪問看護に出かけていたが、バスに足を轢かれて以来、自転車で出かけるようになったという。写真は当時の雄姿。
※次回は、経費節約のために上司と同居を始めた岩本氏について、月曜配信です。