• 公開日: 2015/7/18
  • 更新日: 2018/12/13

年老いた親とあえて離れて暮らしたから、気づけたこと

テーマ:私の上京物語

親を心配するという事

ryoshin

30歳を過ぎて看護師に

医療系以外の企業に自宅から通勤していましたが、20代後半にそこを辞めると年齢と資格等の理由で就職難にあいました。
手に職をと看護師になった時は30歳超えていましたが、私は新人です。
初めての夜勤など体力勝負の生活が始まりました。

母との不仲から一人暮らしに

自宅から通勤していましたが、小学生の頃から両親、特に母は私への接し方が強く威圧的で口を利かない日々が多かったのですが、今思えば 高齢で私を出産した母は幼い私には分からなかった「更年期」だったのではなかったかと思います。
看護師になっても相変わらずの仲で、「早く1人暮らししなさい」と両親から言われるようになり、私もそのつもりで貯金して実行しました。

あんなに嫌だったのに

初め1年くらいは1人が嬉しかったのですが、ある日父が「ガスをつけっぱなして消すときに火傷した」「母がインフルエンザに罹った」など電話で聞くと あんなに嫌いだったのにやはり ちょっと実家に行ってみようという気になり、会うと自分でも驚くような優しい声掛けが出来たのです。
最近は寝たきりとなった母に休み度に会いに行きますが、妄想・幻視が出て娘でありながら看護師として対応する事も多くなりました。

離れてみたからできたこと

高齢となった母が「看護師になってくれてよかった。いい看護師になるんだよ」最近はそう言うようになり、やっと親子なんだと感じることが出来ています。
離れてみてから両親について考え、今後を心配するという意味を知った気がします

●執筆●みちる さん
小さい頃から母は「女の子は看護師になるものだ」という考えが強く、将来は看護師になりなさいと言うのが口癖だったので、私の将来なりたくない職業NO1は看護師でした。
もちろん小・中・高校ともに保健係や救護係など大嫌いでした。絶対になるものかと心に誓うように成長してきましたが、看護師になったのも母が自宅で転倒して動けずに、初めてポータブルトイレを使った事がきっかけで「看護」について考えるようになりました。
看護師にならなくても介護の勉強になるかもと軽い気持ちで看護学校に入学をして今に至ります。
このエッセイは 「ナースエッセイ」 にご応募いただいたものです。
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