編集部セレクション
  • 公開日: 2022/5/25

「自分のせいで…」夜勤中の急変がトラウマに。

「ラウンジ☆セレクト」は「ラウンジ」で盛り上がった話題と、そこに寄せられたみなさんのご意見を紹介しています。

 今回のトピック 
夜勤中のこと。
ラウンドにまわった時に、患者さんが亡くなっているのを発見しました。1時間ほど前に回った時には変わらず寝ていたのに。
先輩方は、私も経験ある、仕方ないことだから忘れるしかないと言います。それはわかっていますが、思いのほかショックで、その時の事が脳裏に焼き付き、あの時こうしてたら良かったのか、自分でなければ徴候に気付けたのではないかと、考えてしまいます。
みなさんは、このような経験やトラウマとなる出来事かありますか?また、そんな時の自身のメンタルケアはどうしていますか?

 

急変のトラウマは少なくない

■入職したての頃に…

腎不全の患者様で、夜間せん妄状態が強く、Dr指示でロヒプノール中を夜間に数回使用いたしました。
朝方付添いのおばあさまからNsCallで「おじいさんが変なんです。」と部屋に駆け付けたときは心肺停止状態でした。今考えれば、腎不全の患者様なのだからお薬が抜けにくいこと。ロヒプノールによって呼吸抑制も起こりうること。今考えればこの死亡事故は防げたのだと思います。

■今でも鮮明に覚えています

癌の末期で、痛みのコントロールで入院していた女性がいました。
私が準夜のある日、我慢できない程痛みが強く、叫んでいました。「助けて!助けて!私が何悪いことしたのよ!どこにも行かないで、一人にしないで!」
先輩に付き添ってもらい、家族に電話しました。今の状況と、患者さんが不安を感じている、そばに付き添ってもらえないかと。その家族からは、「今何時だと思って電話しているんだ。ふざけるな。」そう言われ電話を切られてしまいました。数日後に彼女は亡くなってしまいました。
しばらくはトラウマになってしまいました。

■1年目のときに…

誤嚥性肺炎から急変し挿管、その後に気切造設し、人工呼吸器を装着した患者様がいました。 全身のEDもかなりあり、DICも併発し、いつ何が起きてもおかしくない、そんな状態の時でした。
先輩とケアに入り、体交した時に気切部のカニューレ動いた様で、抜けた状態となりました。みるみるうちにspo2は低下。 モニターはアネストを表示。その後、患者様は亡くなりました。その時に感じたことは、私が患者様を殺してしまったのではないかということでした。もしあの時に私がケアに入っていなければ、もしあの時に体交をしていなければ、患者様はもっと長く生きられたのではないか…本当に本当に悔やみ続けました。

■つい先週の夜勤で…

日中38.8℃あった患者さんに、日勤終わりにボルサポ(12.5)を入れてもらったんですが、後に36.4℃に下降し、安定するかと思っていたら、痰がゴロゴロ絡み、吸引してもすっきりせず、イヤな予感がしたからモニターを装着しました。 装着時HR110あったのが、徐々に70代までになり、SpO2も98%あったのに78%でそれ以上上がらず、血圧も77/44だったので、すぐに当直医を呼び家族に連絡しましたが、家族の到着に間に合いませんでした。しばらくショックでしたね。

トラウマを乗り越えるために

■「ショック」で終わらせない

同じことは繰り返すまいと、現在ロヒプノールの注射の指示が出た場合は厳重な観察と、必ずモニターをつけることにしました。患者様から学ぶことは多々あります。

緩和ケアやオピオイド等の痛みのコントロールについて勉強しようと決め、気持ち負けしないよう、がむしゃらになっているところです。

沢山泣きました。もう、看護師を続ける資格など無いのだと何度も責め続けました。ですが、看護師の責任の重さや様々なことを学ぶことができました。

若い頃はしょっちゅうでした。上げたらきりがありません。そのお陰で、私は成長出来たし早めに雑務をこなして、いつ何が起きても大丈夫なように体勢を整えるようになりました。

■「悔やみすぎない」ことも大事

どうすれば良かったのかは、その人に聞かないとわからないですが、他にできる事があったのなら、他の人に活かして欲しいし、自分なりに精一杯だったのなら、悔やまないで…と思います。

この方の寿命、運命だったと割り切る気持ちが必要だと思います。そして、記録をキチンと記して自分がやれることはやった事を残す事。

いつか、人は死にますが、死ぬ日まで幸せだと思っていたらいいんじゃないでしょうか?患者さんは誰も恨んでいないし、寿命がきたと思いますし、苦しまなかったのですから静かに息を引き取って幸せだったと思いますよ。自分を責めないで下さい。

関連トピック:「 夜勤中の急変トラウマ
イラスト・なしま

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